顔写真

フジサワ アツシ
藤澤 敦
Atsushi Fujisawa
所属
学術資源研究公開センター 博物館
職名
教授
学位
  • 博士(文学)(東北大学)

  • 文学修士(東北大学)

所属学協会 4

  • 東北史学会

  • 日本文化財科学会

  • 考古学研究会

  • 日本考古学協会

研究キーワード 7

  • 3次元計測

  • 古墳

  • 材質分析

  • 保存科学

  • 近世

  • 古代国家

  • 考古学

研究分野 3

  • 人文・社会 / 博物館学 /

  • 人文・社会 / 文化財科学 /

  • 人文・社会 / 考古学 /

論文 23

  1. 宮城県愛宕山古墳の3次元計測 査読有り

    藤沢, 永原智輝, 今西純菜

    東北大学総合学術博物館紀要 (22) 65-87 2019年3月

  2. 弥生時代後期から古墳時代の北海道・東北地方における考古学的文化の分布 査読有り

    藤沢敦

    国立歴史民俗博物館研究報告 (211) 447-486 2018年3月

  3. 古墳時代の「境界」と「民族」

    藤沢敦

    季刊考古学 (177) 54-59 2011年11月

    出版者・発行元:雄山閣

    ISSN:0288-5956

  4. 墳墓から見た古代の本州島北部と北海道 査読有り

    藤沢敦

    国立歴史民俗博物館研究報告 (152) 441-458 2009年3月

  5. 倭と蝦夷と律令国家-考古学的文化の変移と国家・民族の境界- 査読有り

    藤沢敦

    史林 90 (1) 4-27 2007年1月

    出版者・発行元:史学研究会

    ISSN:0386-9369

  6. 東北地方の円筒埴輪-窖窯焼成埴輪の波及と生産-

    藤沢敦

    埴輪研究会誌 (6) 17-42 2002年5月13日

  7. 倭の周縁における境界と相互関係 査読有り

    藤沢 敦

    考古学研究 48 (3) 41-55 2001年12月

  8. 小型ドローンを利用したSfM法による屋外構造物の3次元計測 査読有り

    鹿納晴尚, 藤沢敦

    東北大学総合学術博物館紀要 (20) 67-78 2021年3月

  9. 東北地方中期古墳の特質

    藤沢敦

    宮城考古学 (22) 103-112 2020年9月

  10. 自然災害から文化財を守るために 招待有り

    藤沢敦

    考古学ジャーナル (736) 19-23 2020年2月

  11. 古墳時代の農民と集落 招待有り

    藤沢敦

    考古学ジャーナル (691) 55-9 2016年11月

  12. 末期古墳と蝦夷社会の特質 招待有り

    藤沢敦

    考古学ジャーナル (688) 1010-14 2016年9月

    出版者・発行元:ニュー・サイエンス社

    ISSN:0454-1634

  13. 古墳時代から飛鳥・奈良時代にかけての東北地方日本海側の様相 査読有り

    藤沢敦

    国立歴史民俗博物館研究報告 179 (179) 365-390 2013年11月

    出版者・発行元:国立歴史民俗博物館

    ISSN:0286-7400

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    古墳時代から飛鳥時代,奈良時代にかけての,東北地方日本海側の考古資料について,全体を俯瞰して検討する。弥生時代後期の様相,南東北での古墳の築造動向,北東北を中心とする続縄文文化の様相,7世紀以降に北東北に展開する「末期古墳」を概観した。さらに,城柵遺跡の概要と,「蝦夷」の領域について文献史学の研究成果を確認した。その上で,日本海側の特質を太平洋側の様相と比較しつつ,考古資料の変移と文献史料に見える「蝦夷」の領域との関係を検討し,律令国家の領域認識について考察した。日本海側の古墳の築造動向は,後期前半までは太平洋側の動向と基本的に共通した変化を示すことから,倭国域全体での政治的変動と連動した変化と考えられる。ところが後期後半以降,古墳築造が続く地域と途切れる地域に分かれ,地域ごとの差違が顕著となる。終末期には太平洋側以上に地域ごとの差違が顕著となる。時期が下るとともに,地域独自の様相が強まっており,中央政権による地方支配が強化されたと見なすことはできない。続縄文文化系の考古資料は,日本海沿いでは新潟県域まで分布し,きわめて遠距離まで及ぶ。また海上交通の要衝と考えられる場所に,続縄文文化と古墳文化の交流を示す遺跡が存在する。これらの点から,日本海側では海上交通路が重要な位置を占めていた可能性が高く,続縄文文化を担った人々が大きな役割を果たした可能性が指摘できる。文献史料の検討による蝦夷の領域と,考古資料に見られる文化の違いは,ほとんど対応しない。日本海側では,蝦夷の領域と推測される,山形県域のほぼ全て,福島県会津盆地,新潟県域の東半部は,古墳文化が広がっていた地域である。両者には,あきらかな「ずれ」が存在し,それは太平洋側より大きい。この事実は,考古資料の分布に見える文化の違いと人間集団の違いに関する考えを,根本的に見直すことを要求している。排他的な文化的同一性が先に存在するのではなく,ある「違い」をとりあげることで,「彼ら」と「われわれ」の境界が形成されると考えるべきである。これらの検討を踏まえるならば,律令国家による「蝦夷」という名付けは,境界創出のための他者認識であったと考えられる。Archaeological evidence from the Kofun period through to the Asuka and Nara periods, discovered in the districts bordering the Japan Sea in the Tohoku region, was examined comprehensively. Particularly, the following four points were examined to give an overview: 1) aspects of late Yayoi period; 2) the construction trends of kofun (ancient burial mounds) in the southern Tohoku region; 3) aspects of post-Jomon culture centering on the northern Tohoku region; and 4) "kofun in the terminal stage" developed from the 7th century onward in the northern Tohoku region. Moreover, concerning an outline of the josaku (government fortification) sites, and the Emishi territories, the author confirmed the study results of historical bibliographies. Based on this acknowledgement, while comparing the characteristics of Japan Sea side districts with the Pacific seaboard districts, the relation between a change in archeological evidence and the Emishi territories found in historical bibliographies was examined, and then the perception of domains by the national administration promoting the ritsuryo codes was considered.Up until the first half of the late Kofun period, construction trends of kofun in the Japan Sea side districts basically show similar variations to those seen in the Pacific seaboard districts; for this reason, it can be considered such changes were made in conjunction with political transformation throughout Japan. However, after the second half of the late Kofun period, regions can be classified into two types – regions with the continued construction of kofun, and those with no construction – giving obvious differences among regions. At the terminal stage, regional differences became more noticeable compared to the Pacific seaboard districts. Closer to our own times, aspects unique to a region were strengthened; therefore, it cannot be considered that local control by the central government was strengthened.Archaeological evidence of post-Jomon culture found in the Japan Sea side districts is distributed up to the Niigata Prefecture area, which ranges over a considerable distance. At those places considered to be important for sea traffic, sites are found that indicate the interchange of post-Jomon culture and kofun culture. These points offer the strong possibility that sea lanes were in an important position on the Japan Sea side districts, along with a possibility that those people who led the post-Jomon culture played a major role in this positioning.The Emishi territories found through examination of historical bibliographies hardly corresponds to the cultural differences seen in the archaeological evidence. In the Japan Sea side districts, almost the entire area of the Yamagata Prefecture, Aizu Basin in the Fukushima Prefecture, and the eastern half of the Niigata Prefecture, all of which are assumed to be the Emishi territories, were areas where kofun culture was spread. There is a clear difference between them, which is larger compared to the Pacific seaboard districts. This fact demands the fundamental reconsideration of the current concepts concerning cultural differences found from distribution of archaeological evidence and differences among human groups. Exclusive cultural identity does not come first; it should be thought that a boundary between "them" and "us" is formed by focusing on any perceived "difference." Based on these examinations, it is possible to consider that the term "Emishi" as used by a nation promoting the ritsuryo codes was coined from a particular perception of another group to create a boundary.

  14. 民族の物語としての戦後日本考古学

    藤沢敦

    日本史の方法 (4) 125-132 2006年6月

  15. 創出された境界-倭人と蝦夷を分かつもの 招待有り

    藤沢敦

    考古学研究会50周年記念論文集-文化の多様性と比較考古学 261-268 2004年3月31日

  16. 糖アルコール含浸法による出土木製品保存処理の応用と課題 査読有り

    藤沢敦, 千葉直美

    宮城考古学 (5) 179-198 2003年5月18日

    出版者・発行元:宮城県考古学会

    ISSN:1348-1924

  17. 阿武隈川下流域の前方後円墳(その2) 査読有り

    藤沢敦

    宮城考古学 (3) 31-52 2001年5月12日

    出版者・発行元:宮城県考古学会

  18. 阿武隈川下流域の前方後円墳(その1) 査読有り

    藤沢敦

    宮城考古学 (2) 2000年5月14日

  19. 栗原・登米・本吉地方の古墳墓

    藤沢敦

    阿部正光君追悼集 69-80 2000年5月12日

  20. 桜井古墳群-前期首長墳と古式群集墳- 招待有り

    藤沢敦

    季刊考古学 (71) 75-78 2000年5月1日

  21. 仙台平野における埴輪樹立古墳の墳丘と外部施設

    藤沢敦

    東北文化研究室紀要 (39) 1-17 1998年3月30日

  22. 仙台平野における古墳の変遷-その断絶と画期をめぐって-

    藤沢敦

    甘粕健先生退官記念論集-考古学と遺跡の保護 237-254 1996年2月17日

  23. 引田式再論

    藤沢敦

    歴史 (79) 68-86 1992年9月25日

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書籍等出版物 7

  1. 倭国の形成と東北

    藤沢敦

    吉川弘文館 2015年10月

    ISBN: 9784642064880

  2. 古墳時代の政治構造

    広瀬和雄, 岸本道昭, 宇垣匡雅, 大久保徹也, 中井正幸, 藤沢敦

    青木書店 2004年5月25日

  3. 講座東北の歴史第六巻生と死

    鈴木岩弓, 田中則和, 入間田宣夫, 鈴木由利子, 榎陽介, 佐藤和賀子, 蝦名裕一, 柳谷慶子, 藤沢敦, 中川学, 待井扶美子, 佐藤雅也, 澤村美幸

    清文堂出版 2013年9月

    ISBN: 9784792409616

  4. 講座日本の考古学8古墳時代(下)

    広瀬, 和雄, 和田晴吾, 赤塚次郎, 河野一隆, 岸本直文, 車崎正彦, 杉井健, 積山洋, 高木恭二, 高橋克寿, 辰巳和弘, 田中良之, 千賀久, 新納泉, 能登健, 橋本博文, 花田勝弘, 福永伸哉, 藤沢敦, 北條芳隆, 穂積裕晶, 森下章司

    青木書店 2012年5月

    ISBN: 9784250211096

  5. 前方後円墳の終焉

    広瀬和雄, 太田博之, 賀来孝代, 藤沢敦, 日高慎, 小森哲也, 加部二生, 田中裕, 池上悟, 柏木善治

    雄山閣 2010年10月

    ISBN: 9784639021568

  6. 考古資料大観第4巻 弥生・古墳時代 埴輪

    一瀬和夫, 車崎正彦, 岸本圭, 大竹弘之, 藤沢敦, 山崎武, 松木武彦

    小学館 2004年5月20日

  7. 考古資料大観第9巻 弥生古墳時代 石器・石製品・骨角器

    禰宜田佳男, 北條芳隆, 寺前直人, 斎野裕彦, 村田裕一, 大賀克彦, 北浦弘人, 藤沢敦

    小学館 2002年12月20日

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共同研究・競争的資金等の研究課題 13

  1. 北からの視点・考古科学分析・広域比較に基づく日本古墳築造の総合的研究

    菊地 芳朗, 藤澤 敦, 高瀬 克範, 太田 圭, 鈴木 琢也, 福永 伸哉, 村上 由美子, 佐々木 由香, 臼杵 勲

    2023年4月1日 ~ 2028年3月31日

  2. 石材構築文化財の保全のための3次元デジタルアーカイブの標準化の研究

    藤澤 敦, 菊地 芳朗, 金田 明大, 田尻 義了, 片岡 太郎, 杉井 健

    2020年4月1日 ~ 2025年3月31日

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    初年度のため、多数のデジタルカメラ写真から3次元化を行うSfM(Structure from Motion)法を、研究分担者が実施できる体制を整えた。研究分担者は、各地の文化財を対象に、SfM法での3次元化の試行を進めた。また、計測3次元データによって製作した、縮小模型の研究や一般向け公開での活用方策を検討するため3Dプリンタを設置し、随時検討できる体制を整えた。 3次元計測の方法を比較するために、特殊な機器を使用した詳細な計測は、コロナ感染症で調査が難しいため、規模が大きく経費が必要な遺跡を1ヶ所実施することとした。彩色による装飾がある、福島県いわき市中田横穴墓を計測対象とした。2020年度に計測ができるように準備を進めたが、コロナ感染症の拡大で実施が困難となったため、繰り越し申請を行い、翌年度に計測を実施できた。光学式非接触ハイエンド3Dスキャナによる計測と、SfM法による計測を行い、異なる計測方法での比較検討のデータを得ることができた。 コロナ感染症で出張を伴う調査が難しいため、大学構内での計測も試みた。登録文化財への登録申請準備を進めていた東北大学正門などを、小型ドローンによる空撮写真と手持ち撮影写真を組み合わせ、SfM法で3次元化することを試みた。その際、使用するカメラの解像度と撮影距離から、3次元化した際の解像度を計算することを試み、簡便な方法でおおよその解像度の目処をつけることが可能であることを明らかにした。 研究代表者・分担者・協力者でのオンライン研究会を1回開催し、研究の推進方法などを協議した。あわせて、SfM法での計測で留意すべき点などの情報共有を図り、以降の研究を推進する体制整備に努めた。

  3. 集団の複合化と戦争

    松木 武彦, 藤澤 敦, 渡部 森哉, 比嘉 夏子, 橋本 達也, 佐々木 憲一, 寺前 直人, 市川 彰

    提供機関:Japan Society for the Promotion of Science

    制度名:Grants-in-Aid for Scientific Research

    研究種目:Grant-in-Aid for Scientific Research on Innovative Areas (Research in a proposed research area)

    研究機関:National Museum of Japanese History

    2019年6月28日 ~ 2024年3月31日

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    戦争に関わる人工物(考古資料)を中心とした考古学的データを体系化し、日本列島・アメリカ大陸・オセアニアの各地・各文明において、社会複合化(都市・国家形成)と戦争にかかわる各種の考古学的データ群(項目)を配列したリストを作り、事象の出現の順番と因果関係を見据えつつ戦争の出現・発展・低減・消滅のプロセスを地域ごとに比較するためのフォーマットの根幹部分を作成した。さらに、このフォーマットにモニュメント築造や技術革新・芸術表現などに関する考古学的事象についてのデータ群を加え、領域全体で取得したデータを比較検討するための大型データ群を作成するための準備作業を行った。とくに戦争に関わる事象を考察の中心対象とする本計画研究では、アンデスやマヤの遺跡の現地調査成果なども踏まえつつ、戦争に関わる人工物(考古資料)を中心とした考古学的データを体系化し、データ群を配列したリストを作り、事象の出現の順番と因果関係を見据えつつ戦争の出現・発展・低減・消滅のプロセスを地域ごとに比較するための基盤を2019年12月までに作成した。このような基盤を参照しながら、2020年2月にはメキシコ・テオティワカンで開催された領域の全体会議に赴き、代表者の松木が、日本列島先史時代における戦争・モニュメント・アートの時系列変化のパターンを示し、アメリカ大陸やオセアニアの諸地域・諸文明のパターンと比較するための要素・項目・問題点および理論的姿勢などを提示した。

  4. 国家形成期におけるヤマト政権と地域権力の相互関係の再定義―東北地方を中心に―

    菊地 芳朗, 藤澤 敦, 石橋 宏, 福永 伸哉, 柳沼 賢治, 上田 直弥

    2020年4月1日 ~ 2023年3月31日

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    研究実績の概要 本研究は、古墳文化の北縁に位置しこれまでほとんど顧みられることがなかった東北地方の古墳・遺跡とその出土遺物を主な対象に、ヤマト政権と各地の政治権力との相互関係に関する従来の見解を再定義することを目的に実施する。さらに東北特有の地理的・歴史的条件を踏まえ、古墳がつくられた意味そのものや、日本列島の国家形成の特質にも迫ることを目指す。より具体的な目的は次のとおりである。 ①東北の古墳時代遺跡・遺物に対するフィールド調査の実施により、ヤマト政権と地域権力の相互関係を解明するための新たな材料を獲得する。②東北と近畿の古墳時代に精通する第一線の研究者を結集しつつ調査分析を進め、その成果と課題を共有議論することにより、両権力の相互関係に関する新たな理解を提示する。③上記成果を特定地域間のケーススタディにとどめることなく日本列島全域への普遍化を図り、古墳時代研究および国家形成研究の新たな展開を目指す。 2020年度は、コロナ禍の発生により予定していた調査の多くが実施不能もしくは縮小して行わざるを得ない状況となった。フィールド調査は福島県団子山古墳の発掘調査を3週間実施した。総合研究としては、2020年6月と2021年2月にオンラインによる研究集会を開催し、研究計画を確認するとともに、研究メンバー3名による研究報告を行った。

  5. 古墳分布北縁地域における地域間交流解明のための実証的研究

    菊地 芳朗, 藤澤 敦, 石橋 宏, 柳沼 賢治, 日高 慎, 高木 晃, 青山 博樹, 草野 潤平

    提供機関:Japan Society for the Promotion of Science

    制度名:Grants-in-Aid for Scientific Research

    研究種目:Grant-in-Aid for Scientific Research (B)

    研究機関:Fukushima University

    2016年4月1日 ~ 2019年3月31日

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    本研究は、日本列島の古墳分布北縁地域である東北地方の古墳を主要な対象とし、顕著な地域間交流を示す遺構・遺物の実証的な調査分析を通じ、北縁地域の古墳の成立・変遷・終焉の過程と、それをもたらした地域間交流の実態を組織的に解明することを目的とした。この目的のもと、①北縁地域の重要古墳に対する発掘調査および測量調査、②北縁地域の既存の重要考古資料の調査分析、③これらをふまえた周辺地域の関連考古資料との比較検討を行った。以上により北縁地域における古墳文化の特質をこれまで以上に明確にでき、あわせて北縁地域で行われた地域間交流の動態と背景に迫ることができた。

  6. 前方後円墳の三次元計測とそれにもとづく設計原理の検討

    新納 泉, 藤澤 敦, 寺村 裕史, 光本 順, 野崎 貴博

    提供機関:Japan Society for the Promotion of Science

    制度名:Grants-in-Aid for Scientific Research

    研究種目:Grant-in-Aid for Scientific Research (B)

    研究機関:Okayama University

    2015年4月1日 ~ 2018年3月31日

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    本研究は、三次元レーザー計測などの新しい技術を用いて前方後円墳の正確な三次元的形態を復元しようとするものである。はじめに、大阪や岡山における4基の大規模古墳について解析を行い、その基本設計を確立した。斜面の傾斜を決定するために直角三角形が用いられており、長さには中国由来の尺度が使用されていると推定した。続いて、それをより小規模な古墳や他地域の古墳に適用しようと試みた。4基の古墳の解析結果に基づく論文と、レーザー計測を実施した結果の報告書を刊行した。

  7. 小規模墳の消長に基づく古墳時代政治・社会構造の研究

    藤澤 敦

    提供機関:Japan Society for the Promotion of Science

    制度名:Grants-in-Aid for Scientific Research

    研究種目:Grant-in-Aid for Scientific Research (C)

    研究機関:Tohoku University

    2003年 ~ 2005年

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    日本の古代国家形成期にあたる古墳時代墳墓の特徴は、墳形と規模の両面で、常に大きな格差が存在することである。本研究は、小規模墳に着目することで、古墳時代の政治構造や社会構造を、新たな側面から明らかにしようとするものである。 この課題を検討するための基礎的作業として、地域内部における小規模墳の具体的様相を明らかにし、大型古墳との階層的関係や、小規模墳の造営基盤などを検討しておく必要がある。東北地方南部を対象にケーススタディを行い、その一環として宮城県台町古墳群の測量調査を実施し検討材料とした。これを踏まえて、各地の事例と比較検討した。 古墳時代中期に一時的に低調になるものの、それ以外の時期には小規模墳が、各地で活発に築造される。その分布状況から見て、小規模墳は1〜数ヶ所程度の集落から形成される、さほど広くない日常的な農業生産の単位となる共同社会を基盤として築造されていることが明らかとなった。このような小規模墳の分布に対応する共同社会が、古墳時代社会を構成する基本的な単位と考えられる。 古墳時代の開始にあたって、各地で小規模墳が広範に築造され、それを複数統合する形で、中規模以上の古墳が築造されている。このことから、古墳時代の政治的結合の形成にあたって、小規模墳に埋葬された階層の広範な参与が不可欠であったことを示している。小規模墳の存在形態は、中期後半以降に変化していくが、その造営基盤に本質的変化を見出すことはできない。小規模墳に埋葬された階層を、政治的に編成する構造の変化と考えられる。これらの検討結果から、古墳時代の墳墓に表現された階層的政治関係の形成にあたって、小規模墳に埋葬された階層の動向が、重要な位置を占めていると考えられることが明らかとなった。

  8. 東北北部・北海道における古代武器・馬具の研究

    藤澤 敦

    1998年 ~ 1999年

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    日本の律令国家とは相対的に独自の文化を維持した、古代の東北北部と北海道の社会を究明する-手法として、武器と馬具を対象に、その生産と流通という観点から検討した。なかでも出土例が多い、武器では刀類と鉄鏃、馬具では轡を主要な検討対象として検討した。金属製品の検討にあたっては、残存有機質部分を含めた詳細な実物観察が必要であり、昨年度に引き続き、北海道を中心に資料調査を行った。 北海道のオホーツク海沿岸地域の、オホーツク文化に伴う蕨手刀には、鍔の平面形が隅丸長方形を呈するもので占められていることが判明した。このような鍔の形態は、他に例のないものであり、日本列島の他の地域から出土した蕨手刀とは、異なった系譜を引くものである可能性も考えられる。今後、大陸の刀剣類の諸例を含めた、広範囲での比較検討が必要である。 馬具では、北海道出土の例が、一部の部材だけが取り外された形で出土しており、馬具本来の用途を失っている。装飾品などに転用された結果と考えられた。この点で、東北北部と北海道では、古代における馬具の受容、馬利用のあり方に相違が認められる。 これらの2ケ年間の検討を通じて、東北北部と、オホーツク文化以外の北海道出土の古代武器・馬具は、基本的に律令国家のもとで製作されたものが移入されたものと考えられた。特に、律令国家における北方との窓口となった、陸奥国の領域内で製作されたものが、多数を占めると予測された。ただし、オホーツク文化では、他地域とは異なるルートで、武器類を移入していたことが推定できる。

  9. 東北・九州地域における古墳文化の受容と変容に関する比較研究

    上村 俊雄, 藤澤 敦, 辻 秀人, 西中川 駿, 大西 智和, 中村 直子

    提供機関:Japan Society for the Promotion of Science

    制度名:Grants-in-Aid for Scientific Research

    研究種目:Grant-in-Aid for Scientific Research (B)

    研究機関:Kagoshima University

    1997年 ~ 1999年

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    東北・九州地域における古墳文化の受容と変容について、考古学的調査と研究を行い、以下のような研究成果を得た。 (1)弥生時代終末から古墳時代初頭に、東北地方は南部、北部ともに在地土器の要素を残さないほど大きな土器構造の変換がおきる。南部は北陸、東海の土器の登場と関東地方の土器との一体化があり、北部は北海道の土器の出現がある。弥生時代から不連続的な展開を示すところに東北地方の特質があり、それが次の時代の動向を規定していくようである。(2)土師器化については、北部九州では大きな断絶はなく、南部九州地域の停滞的様相と異なり比較的早く交代する。土器の変化の様相は集落のあり方とも矛盾がない。北部九州の拠点的集落の多くは弥生時代から存続するもので、存続期間中に大きな断絶や変化は認められず、九州南部でも同様である。(3)東北地方と九州南部の古墳の変遷と分布状況の変化については、双方の古墳、特に首長墳が、大局的に同様の時期に変化を見せる。(4)九州および東北の古代馬は、体型的、形質的に同一の系統と考えられる。弥生中期以降に朝鮮半島経由で九州北部に渡来した可能性がある。(5)九州南部で地下式横穴墓、東北地方で古式群集墳が存在するが、両者の墳墓型式は異なっていても、同時期に古式群集墳が濃密な分布状況を示すという点で共通する。墳墓型式には地域的特色が見られるが,存在形態の共通性は,同様の政治・社会構造が存在した可能性を示唆する。(6)九州南部は基本的に弥生文化の延長上にあり、北部九州とは異質とはいえ、大局的には同じ文化を基礎とした変容の進度の違いによるものであろう。これに対して、東北北部は構成原理が異なる社会である。海を隔てた社会との距離、交流の程度などがこのような違いをもたらしたと思われる。

  10. 東日本における縄文時代集落の研究

    須藤 隆, 奈良 佳子, 関根 達人, 藤沢 敦, 阿子島 香, 富岡 直人

    提供機関:Japan Society for the Promotion of Science

    制度名:Grants-in-Aid for Scientific Research

    研究種目:Grant-in-Aid for Scientific Research (B)

    研究機関:TOHOKU UNIVERSITY

    1996年 ~ 1998年

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    本研究では、(1)東日本における縄文時代の集落について、その構造の変遷、地域的な特色を解明することを目指した。さらに、(2)縄文時代から弥生時代にかけての集落の構造変化の過程についてその地域的特色の解明を目的とした。この研究を達成するため、具体的には、東日本各地で集落遺跡関係資料の調査と遺跡踏査を実施し、基礎資料の収集、分析を行った。特に北上川、馬淵川流域、岩木川、米代川流域、阿賀野川流域など大河川の水系毎に資料収集と分析を行い、その地域色を追求した。さらに、北上川流域では複数の集落遺跡で発掘調査を実施し、調査資料の総合的な研究を進めた。 また、膨大な資料の存在が予想される集落研究を効率的に進める研究方法を確立するため、有効な資料収集のデーターベースシステムを構築を目指し、その運用を図った。 また、集落構造の研究のため、中神遺跡、山王囲遺跡で発掘調査を実施し、遺構、遺物の入念な総合的分析を進めた。また、前田遺跡、足沢遺跡では出土資料の分析を行った。このような考古学的研究によって、東北地方の集落遺跡の構造、その変遷について詳細に検討した。さらに、この分析結果をふまえて、東日本全体で総合的に縄文集落を検討し、その構造の特色、変遷について、より確度の高い仮設を呈示することができた。 また、集落遺跡資料のデーターベース化を確立し、軌道にのせることができた。このシステムは、集落にとどまらず、貝塚、墓など様々な遺跡、住居跡、貯蔵穴、配石墓などの遺構、土器、骨角器などの遺物についての資料収集、分析を幅広く、相互の結び付きをつけて進めること可能であり、今後の研究の基盤を構築することができたと考える。以上、本研究で集落遺跡の基盤研究に大きな成果をうることができた。

  11. 東北地方北半部における終末期古墳の研究

    藤澤 敦

    1996年 ~ 1996年

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    1.東北地方北半部の、岩手県・秋田県・青森県の3県を対象地域とし、古墳時代終末期に併行する7世紀以降に、この地域で盛行する古墳墓の集成を行った。個々の古墳墓について資料カードを作成し、既知のデータを収集・整理するとともに、必要に応じて実地調査も行った。 2.既往の調査で出土している遺物を再検討した結果、この地域では、早いもので6世紀末葉、多くは7世紀前半以降に古墳が出現していること、終末は9世紀末まで下る例があることを確認した。同一の古墳群において、7〜9世紀の3世紀にわたって築造が続く例も認められた。 3.このような東北地方北半部における古墳墓の、墳丘・内部主体・副葬品配置等を、他の地域の併行、もしくは近接する時期の古墳と比較検討した。 特に、東北地方北半部の古墳墓の中でも、最も早く出現し、普遍的に分布する内部主体に木棺を直葬するものについては、(1)墳丘下に内部主体を設ける点、(2)木棺の構造が墓壙内に組み合わせ式の木棺を据え付けるものである点、(3)棺の蓋上に土器を供献する場合が多い等の点において、際だった特徴が認められた。このような構造の主体部は、古墳文化が広まる範囲内では、直接的に模倣した対象を見出すことが困難で、古墳の様々な要素を取り入れながら、東北地方北半部で独自に生み出されたものと考えられる。 上記のような、出現期に確立した墳墓様式が、9世紀には墳丘上から墓壙を掘り込む等の変化は見せるものの、その終末まで、ほぼ同じ様式を保ち続けることが確認できた。

  12. 東北地方における古墳の変遷の基礎的研究

    藤澤 敦

    1995年 ~ 1995年

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    1,宮城県南部の、阿武隈川下流域の柴田町・村田町・蔵王町・大河原町・角田市・丸森町・白石市の7市町の範囲を調査対象とし、古墳の分布調査を行った。この地域の133ケ所の古墳(群)・横穴墓(群)について、資料カードを作成し、既知のデータを収集・整理するとともに、実態の不明確な古墳については、実地踏査を行い、墳丘形態や規模などのデータを収集した。既に破壊され、実態不明な古墳については、過去の記録類を探索し、その復元を試みた。 2,この地域に12基確認されている前方後円墳の中で、唯一未調査であった古峯神社古墳の測量調査を行い、主軸長39mの前方後円墳であることを確認し、墳丘形態の特徴を把握した。この調査の際、一連の同じ尾根上において、主軸長約60mの前方後円墳を新たに発見し、略測を行った。 3,以前に乱掘などで出土した遺物については、村田町下清水横穴墓群・丸森町第町古墳群などの資料を実測・図化し、特徴を把握するとともに、墳墓の築造年代をこれらの資料から検討した。踏査の過程で収集した採集遺物についても、同様に資料化を行い、築造年代の検討を行った。既に調査された古墳の出土遺物については、それらの再検討を進めた。 4,これらの調査によって得られたデータを整理し、周辺地域の関連する資料し比較検討を行い、この地域の古墳編年を作成した。これによって、地形的に区分される一定地域内の古墳の変遷の動態を、時期ごとの各小地域間の動向を踏まえた形で明らかにした。

  13. 東日本における弥生文化成立過程の研究

    須藤 隆, 関根 達人, 藤沢 敦, 富岡 直人, 阿子島 香

    提供機関:Japan Society for the Promotion of Science

    制度名:Grants-in-Aid for Scientific Research

    研究種目:Grant-in-Aid for General Scientific Research (B)

    研究機関:THE FACULTY OF ARTS AND LETTERS,TOHOKU UNIVERSITY

    1993年 ~ 1995年

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    本研究は東日本の弥生文化・初期農耕社会が成立する過程を追究し、縄文時代から弥生時代への文化変化、社会変動のメカニズムを解明することを目的とした。計画にそって研究をすすめ、次のような成果をあげることができた。 (1) 1993年、1994年度に実施した岩手県花泉町中神遺跡の調査資料の分析を行った。その結果この地方の前期弥生時代の墓制が明らかになった。中神遺跡では土器棺2基が精査されたが、いずれも弥生時代前期後半の小児用合せ口甕棺であることが明らかになった。東北地方南部から東海地方に発達する再葬墓とは異なり、東北地方北部と共通した墓制が発達をし、東日本の弥生文化の展開は極めて複雑な様相を示している。(2)中神遺跡出土の物質文化を検討し、その変遷、ことに土器型式の推移が明らかになった。(3)東北地方北部の馬淵川流域の縄文時代終末から弥生時代前期にかけての重要遺跡について資料収集を実施した。二戸市金田一川遺跡、足沢遺跡などの踏査、資料調査によって、移行期に関する貴重な資料をうることができた。とくに遠賀川系大型壺と砂沢式大型鉢の合せ口土器棺墓が発見された金田一遺跡の踏査で、この遺跡が晩期からの墓幹集落であったことが確認された。(4) (4)北上川水系、仙台平野における縄文時代から弥生時代の重要遺跡をとりあげ、山王囲遺跡、中在家南遺跡など、弥生時代前期から中期中葉の集落、物質文化の比較研究を進め、その特色を明らかにした。 以上、本研究によって、縄文文化から弥生文化への変動期における集落、墓制、物質文化、技術、生業活動などについて、様々な貴重な成果がえられるといえる。

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社会貢献活動 1

  1. 仙台市富沢遺跡保存館地底の森ミュージアム友の会講演会

    2005年1月29日 ~

その他 1

  1. CR法を活用したエミシのガラス玉の研究

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    古代エミシの居住地と見なされた、7~8世紀における東北地方北部の「末期古墳」から出土したガラス玉を、材質・技法の考古科学的分析を踏まえて検討する。大量の資料を効率良く分析するため、イメージングプレートを使ったCR(Computed radiography)法による、X線ラジオグラフィ撮影画像の分析を活用する。